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大勝負を制するものは! [社会]

my challenger's log Ⅱ 2冊目

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 藤井聡太5段が、佐藤天彦名人、羽生竜王を破り、全棋士参加の朝日杯将棋オープン戦で優勝、中学生、15歳6カ月で優勝という前代未聞、歴史的快挙を成し遂げ、6段昇進を果たした。


 棋力以上に、徳のある人間の総合力がモノを言う勝負の世界、大舞台を制した原動力は何だったのだろうか。

 囲碁でも、将棋でも、最近の若い世代は特に、AIソフト、コンピューターと対戦、勉強する。

 人間が指す場合は、棋理に反した手は打たないが、コンピューターは最善手を計算し、棋理に関係なく打つ。機械が打つ冷徹さであろうか。



 とまれ、仏教では、何も持たぬ者でも、無財の七施という徳を積むことが出来ます。



 1.眼施(がんせ)   優しいまなざし

 2.和顔施(わがんせ) 笑顔をたやさない

 3.言辞施(げんじせ) あたたかい言葉をかける

 4.身施(しんせ)   自身の身体で奉仕をする

 5.心施(しんせ)   おもいやりの心

 6.床座施(しょうざせ)自分の席をゆずる

 7.房舎施(ぼうしゃせ)自分の家を一宿一飯の宿に貸す

 無私の心で、他者に尽くす、見返りや、恩に着せることはしない。

 徳を積んだ人間には、心豊かで優雅な人格が漂います。周りに人が集まり、支えてくれます。

 孔子は「徳は弧ならず、必ず隣りあり」と言った。

 人徳でしょうか。感謝の日々が送れます。


 『花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀もタガラの花も、ジャスミンもみなそうである。
しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る』
(ブッダの真理のことば、感興のことば、より抜粋)

 『美しい花より よい香りを持つ花がいい。美しい人より よい性質の人がいい』
(坂村真民 花と人)

 「美しい所作とは、感謝を知り、伝えるものである」、と言うのは、枡野俊明 曹洞宗徳雄山健功寺住職である。

 さらに、「ゆっくり動く、間を取る」、「ゆっくりした動きと美しさは関連している」とも言う。

 これは、勝負の世界で要求される、自然体、平常心に相通じるものであろうか。
  
 

 1982年、第40期 加藤一二三対中原名人戦は、7番勝負を越えて、持将棋、千日手を挟んで、第10局までもつれ込んだ。

 最終局も、中原圧倒的有利の局面を、加藤が粘りに粘り、中原の疑問手を誘い、熾烈な秒読みの中で、最後の1秒で、加藤が勝った。加藤はこれを、指運と言った。42歳の名人誕生である。

 彼はクリスチャンである。この指運を、「神様からのお恵みだ」と言った。最後に、勝利の女神がほほ笑むのは何によるものなのだろうか。

 日々、人知れず、ひたむきに将棋と向き合い、徳を積む者に、幸運の女神がほほ笑むのだろうか。

 他者や自然に支えられ、敬い、感謝すれば、自分が立つ場所を与えられる。

 論語季氏には、「礼を学ばずんば、以って立つことなし」とある。

 柔道、剣道、棋道等々は、「礼に始まり、礼に終わる」という。大勝負を制するのは、大舞台でも、無欲、自然体でいられる平常心が身についた者だけの筈であった。

 かって、故米永棋聖は、棋理に反する手を打つことなく、水が流れる如く、よどみなく自然な手を打って「さわやかに勝つ」と言った。

 一局の勝負には、流れとリズムがある。攻めと守りのバランスが求められる。

 藤井聡太6段は、勝負態度やコメントも、中学生を越えた印象である。羽生竜王に勝つとは、誰も想定だにしなかった恐るべき中学生である。将棋界、勝負の世界の天才革命児ではなかろうか。


 日々の暮らしの中では、いつも人生への間合いと、微笑みを忘れないことです。

 人知れず、徳を積み、ひたむきに努力を続ければ、天が味方についてくれます。
 
 


参考図書




何故かジャズ されどジャズ














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ひふみんアイ [社会]

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 ひふみんアイ


 藤井四段が佐藤名人破る 次は羽生竜王と対戦
 引用記事全文
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25669010U8A110C1CR8000/

 将棋の加藤九段は、対局中、将棋盤の相手側に立ち、相手の目線で、自陣の駒組を視る。

 相手が視る局面の形成判断が、自分の判断と同じなのか、違うのかを確かめるためである。

 相手には、この局面の形成がどう映るのか、相手側に立って検証しようとする戦術である。

 読み筋は、自分と相手では違うことが多い。自分がいいと思っても、相手は一枚上の読みを持っている場合がある。相手の方が形成有利と見ている。

 囲碁でも、将棋でも、指し手は、局面の流れに乗り、勢いと気合がなければならない。自分だけの判断では、独善的な”読み抜け”の場合がある。

 ひふみんアイはこれを確かめる戦術であろうか。

 藤井四段は、このひふみんアイを取り入れた。総じて、桂馬の使い方が上手い。29連勝中の何局か、佐藤名人との本局でも桂馬が躍動した。かって、駒使いの名手として、升田の角、大山の金、中原の桂と言われた。

 幕末の剣豪たちは、生涯をかけて、剣禅一致、自然体の奥義に迫った。 

 中学生で、現役の名人に勝ち、欲や雑念を超えた自然体で指す、と言えるのは、恐るべき14歳である。

 
 とまれ、人間は、生き抜くために、太陽の光や、自然の恩恵を受け、他人が作ったものを食べて生きている。自分が立っていられるのも、他者の評価、協力が必要である。

 自分の姿は、自分では見えない。鏡に映る姿は、左右逆である。自己は常に他者ににより演釈される。

 自分が成り立つために、常に他者をいつくしみ、協力、奉仕が必要であろうか。

 慈悲の心である。

 勝負は勝たねばならないが、相手をねじ伏せるのではなく、さわやかに勝ち、勝っても、”惻隠の情”を持って相手に接し、負けるときは、潔く負けたいものである。

 剣道、柔道、棋道、そして相撲道、すべて、”道”と名の付くものは全て、この礼に基づき行われる人間の修練である。

 かって、故加藤正夫囲碁名人、本因坊は、大勝負の熾烈なタイトル戦で挑戦者にはなるが、タイトル戦、八連敗を喫し、万年二位に甘んじ、大勝負を制することが出来なかった。

 何が足りなかったのか!

 見かねた、当時の石田芳夫本因坊が、少し”遊びが足りないと言い、遊びを勧めた。2年間遊びほうけたと言われる。その結果見事、棋聖戦タイトル初奪取に成功した。

 以後、名人、本因坊、十段、棋聖、王座等々のタイトルを奪取したと言う。

 勝負の自然体、物に動じない、腰の据わった人間力を求める所以であろうか。


 一方、個人を超えて、国家の場合、独善的に国益を主張すれば、軋轢、紛争が起きる。典型は、テロである。

 シリア、イスラエル、北朝鮮等々、国際間の外交交渉には、友情は存在せず、非情な駆け引きとなるが、せめて相手に歩み寄り、理を突き抜けた着地点を見出したいものである。

 ひふみんアイ、この小さな主張が、他者や、他国の主張への協力、共存に役立てる方法は無いものだろうか。

 
YOUTUBE 佐藤名人対藤井四段 

https://youtu.be/FnQadn462a8


参考図書 慈悲の心




何故かジャズ されどジャズ  マーク コープランド


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